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夢のような話 まとめ

普段は朝7時に起きてる小山です


7時に起きるんだから

7時に目ざましをセットしています

そして7時の目ざましが鳴ると目をさまし

冷蔵庫から取り出した生卵を5個ジョッキに割って一気飲みなどはせずに

ヤカンに水を入れて火にかける

ってのが朝のスタートなのですが

実はさかのぼる事1時間半前の

5時半にも目覚ましが鳴るようにセットしています

ん?・・・・・何で?

と思うでしょ

もちろん理由があるのです

理由も無くそんなことするはずがありません

7時に起きるのに5時半に理由も無く目覚ましを鳴らすなんて

単なる睡眠妨害にしかなりません

そんなこと毎日繰り返してたら

血走った眼の下にクマが出来て

あたりかまわず頭突きしながら白目むく

なんてことになりかねません

そーではなくてちゃんと理由があるのです



その理由ってのがですね

二度寝をする為なのです

なんやそれー

って思いますか?

ただ二度寝と言っても

「あと10分だけ・・・」

「・・・あと5分」

なんてチマチマしたものじゃなくて

まずはアラームを止めて

トイレに行って

水をグラス一杯のんでから

たっぷり1時間半の

計画的な二度寝

これが気持ちいいんだ





そして

ただ気持ちがいいだけではなくて

思わぬ副産物が付いてくる

二つあるんだけど

一つは7時のアラームが鳴った時には

スッと起きれるのです

今しがた1時間以上の二度寝をしたところなので

満足感って言うか

あきらめがついてると言うか

「はい7時ね オッケー 起きましょー」

って感じで

何の未練も無く起きることができます

気持ちの良い目覚め

何とすがすがしい

新しい一日のスタート





もう一つの副産物ってゆーのがですね

こっちの方がこの話の肝なのですが

よく夢を見る

ってことなんです

二度寝の時って眠りが浅いから夢を見るのか

眠りが浅いからみた夢を覚えているだけなのか

そこのところは分からないんだけど

とにかくよく夢をみています

毎日みています

そこで思い立って

枕元にノートとペンを置いて

夢日記をつけることにしました

実際に日記を書くのは週に1回か2回なのですが

後で読み返してみると

コレが面白い

寝起きのフワフワした状態で書いた字なので

何とか解読できるくらいの

フニャフニャした字と

時には絵と言うか

図と言うか

マークと言うか

何だかよく分からない

しるしの様なものも書いてあって

ほとんど子供の落書きみたいな感じなんだけど

読み返してみるとぼんやりと

ときにはハッキリと

夢がよみがえってきます

ストーリーのある夢があったり

覚めたくなかった夢があったり(一夫多妻制の夢とかね)

夢でよかった夢があったり(浮気がバレタとかね)

象徴的な夢があったりします(この象徴的な夢が後々千金の重みを持つ事になる)







そして3回ほど

夢の中で

こんな事があったのです

どんなことがあったかと言うと

夢をみながら

【これは夢だな】

って事に気づくことがあったのです


二度寝ってことは

つまり一度起きてトイレに行って水を飲んで

そこからの眠りなので

ウトウト

うつらうつら

ボンヤリとした浅い眠りであって

だからこそ夢をおぼえているのだろうけど

そのぶん眠りから覚めかけているような

寝てんだか起きてんだかわかんない状態で見てる夢

そして

時々

夢を見ながらも

徐々に眠りから覚めかけて

何だかうっすらと

頭の下に枕の感覚(でも夢を見ている)

体の上に布団の感覚(でも夢は続いている)

って時に

【あっ これ夢なんだ】

となるのです

まさに夢と現実のはざま

その狭間は

くっきりと境目があることもあれば

境目があいまいで

時には夢と現実が重なっていることもあるのです





さて

この【夢に気づいた】時に

大切なポイントがあります

【夢に気づいた時】のポイントは

現実の世界にフォーカスしない事です

今何時かな?

とか

のど乾いたな

とか考えると

夢の世界がフゥーッと途切れてしまいます

身体の力を抜いて

頭の力も抜いて

夢の世界に浸りましょう



これが出来ると

何といっても夢の世界なのですから

何でもアリです

何をやってもいいのです

無敵じゃないですか

やりたいことは全部やってしまいましょう



高級ショップに行って

「端から端まで全部ちょうだい」

って言っても良いし

飛行機に乗って

制止するCAを振り切って扉を開け

高度10000メートルの風を浴びても良いし

迷彩服を着て国会議事堂に乱入しても良いし

裸でアダルトビデオの撮影現場に乱入良いのです



だって夢だもん

自分が見てる夢だもん

何をやっても良いのです

やっちゃえやっちゃえ

オラオラー

へへへ

こっちは無敵なんだよ

スター取ったマリオの気分で

ヒャッホ~ゥ・・・・・




・・・・・ところが

ところがですよ

何をやっても良いはずなのですが

何故か

やらないのです



これは夢って気づいてるのに

無敵なのに

何をやっても良いのに

意外とそ~ゆ~事やらないのですよねー




・・・・・・これって

・・・・・・・・・・これってつまり

本当はそんな事

やりたいわけじゃ無いんだと思うのです

頭ではアレコレ良からぬことを考えて

口では言いたいことを言ってるけど

本当の心の奥は

そんな事やりたいわけじゃ無いんだな

と気づきました




では

目の前で繰り広げられている世界が【夢である】って事に気づいて

夢の中で本人はどうしているのかと言えば

もちろん自分自身の行動は起こすのですが

その行動によって

どんな展開になるのかワクワクしながら

時には喜んだり

時には驚いたりしながら

夢の世界を味わい

堪能しています






「ふーん、そんなもんか」

と思うでしょー



「なんだよ

せっかく【これは夢だ】と気づいたのに

展開を楽しんでいるだけなんて

それならば3次元の現実世界と大して変わらんじゃないか

それじゃつまらんじゃないか」

と思うでしょー




ところがところが

3次元の現実世界と

【これは夢だ】と気づいた他次元の世界とは

決定的な違いがあるのです




その違いってゆ~のは

ズバリ

【これは夢だ】って気づいた世界には

ストレスが無いのです



3次元の現実世界には

やれ金だの恋だの老化だの

出世だの受験だの不倫だの

コロナだの

加齢臭だの

マスクだの

カサカサでスーパーの袋が開けれないだの

だからって親指舐めちゃダメだの

まん防だの

PCR検査だの

ストレートネックだの

濃厚接触者だの

お祈りメールだの

時短営業だの

イナゴの襲来だの

ソーシャルディスタンスだの

JASRACからの調停書だの

常在菌まで死ぬだの

マグネシウム不足だの

RNAワクチンだの

銀行の手数料金の値上げだの

なんだのかんだの

とにかくありとあらゆるストレスが溢れています




ところが

【これは夢だ】と気づいた他次元の世界には

これらのストレスが無いのです

あたりまえです

だって【夢って気づいてる】のだもの




ってことはストレスって

現実の3次元世界特有のものかもしれないですねー




【夢に気づいた世界】では

何が起きても安心

どんな選択をしても大丈夫

問答無用

言語道断

とにかく絶対的な安心感【夢に気づいた世界】にはあります















そこで思ったのが

目の前の

3次元の現実世界を

【夢に気づいた世界】の感覚で過ごせたら

ストレスが少なく生きていけるんじゃないか

って事なのです





3次元の現実世界を

【夢に気づいた世界】の感覚で過ごすと言っても

何も横暴な行動を起こすのではなく(夢の中でもそんな事しないしね)

あくまで【夢に気づいた世界】の感覚で過ごすだけなので

日々の行動に大した変化は無く(実は少しづつ変化します)

他人から見ると何も変わってなさそうでも(変化に気づく人もいる)

心の中では次元が変わっています





前に記したようなストレス

その他日常で感じるストレス

あるいは教育やメディアによって

常識として無意識に刷り込まれてしまってるストレス

【夢に気づいた世界】絶対的安心感の感覚で過ごせたら

全てのストレスが幻想であり

実はストレスとは

目の前で繰り広げられているエンタメ的な物として

別のとらえ方が出来るんじゃないかと思うのです






「オイオイ

いい歳して

何を夢のような事言ってんの?」

って思うでしょ





そーなんです

だから【夢のような話】なのです






そして

3次元の現実世界を

【夢に気づいた世界】の感覚で過ごすための秘訣を

思いついたのです





秘訣は何度も繰り返し見る

象徴的な夢の中にありました

その夢は

ハッキリとしたストーリーのある夢ではなく

なんだか不思議な感じの夢です











ブランコが向かい合わせに2つ

自分が乗っているブランコと

向こうにも人がのっている

誰だかはわからない

夕暮れ時に

向かい合ってブランコを漕いでいる

チェーンが長くブランコの動きはとてもゆっくりで

近づいたり離れたり

お互い漕ぐ力が違うから

タイミングが合ってお互い最接近することはまれで

こちらが近づいた時には離れていたり

ニアミスで間一髪すれ違ったりするのだけれど

だからと言って

「おしい」とか

「ザンネン」とかの気持ちは無く

だから漕ぐ力を加減して

無理にタイミングを合わせようという気も無い

ただブランコを漕いでいる

狙いも作戦も無く

ただブランコを漕いでいる

それは相手の人も同じで

ただブランコを漕いでいるだけだということが

感覚として分かる




夕暮れ時

2人を乗せたブランコがゆっくりと動く

近づいたり離れたり





そしてたまに

タイミングがピッタリ合って最接近する

最接近した時の

ブランコが振り切って逆方向に戻るまでの

一瞬の間を感じる

その瞬間の

時間も空間も太陽も

全てのものが止まった中に

全てのものがあるのを感じる

全ては

完ぺきに今ここにあるのを感じる






そしてまた

離れていく













こんな夢をよく見るのだけれど

この様な夢の時に

いつも同じメロディーが

夢の中で流れているのに気がついたのです




まー夢から覚めるとメロディーなんかバッチリ忘れているのが常なんだけど

夢日記を付けだして

寝ぼけまなこで書きしるしていた中に

記号やら波打った曲線の矢印やらで

そのメロディーを表しているページを発見

その落書きみたいなのを解読しているうちに

夢のメロディーを思い出すことに成功しました

つまり夢の世界を

3次元の現実世界で再現させることに成功したのです



そして逆もまたしかり

身体は3次元の現実世界を生きながら

頭の中でこのメロディーを流せば

現実世界(ストレスの世界)に囚われず

意識は瞬時に他次元にシフト

道を歩いている時も

電車の中でも

お仕事中でも(ナイショだよ)

トイレの中でも

夢の様に生きていくことが出来るのです(ホントに夢だったら寝ションベン)




このメロディーこそ

夢の世界と現実の3次元世界との懸け橋

現実の3次元世界を

夢を見ているように過ごすための

鍵となるものなのです

(そのメロディーをここでは記しようがないのが残念だなー)














この惑星で過ごす限られた時間

同じ24時間

同じ365日を過ごすなら

同じ過ごすなら

3次元の現実に囚われ過ぎず

たとえストレスを感じたとしても

いっときストレスを楽しんだら(!)

サッサと意識を3次元から他次元にシフトして(いつまでもストレス引っぱるとビョーキになるしね)

後は活劇でも観ているかのような気分で(もー笑い飛ばしてやればいいんですよ)

夢を見ている様に過ごしたいものです






見えないものを信じられた

あの頃の様に







koyama






















by komore228 | 2021-05-02 08:50 | プライベート | Comments(0)


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